神経変性疾患をターゲットにしたmiRNA解析見えてきた、複数の疾患に汎用可能な補充療法

網羅的な発現解析を用いたマイクロRNA(miRNA)研究というと、がん領域が牽引してきた印象が強いが、最近になって脳神経領域でも進んできている。成果は基礎レベルの段階だが、これまでになかった治療の方向性が見えてきている。国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 神経薬理研究部の北條浩彦室長は、東京大学大学院の助手をしていた時にRNA干渉(RNAi)の基礎研究を始め、その流れでmiRNAを研究するようになった。現在は、ハンチントン病などの神経変性疾患をターゲットに、新たな治療の創出に向けたmiRNA解析を進めている。

国立精神・神経医療研究センター 神経研究所
神経薬理研究部 室長

北条浩彦

マイクロRNA(miRNA)は、生体において遺伝子の発現抑制に関わる「20〜25塩基の短い一本鎖の機能性RNA」だ。タンパク質をコードしないnon-coding RNA(ncRNA)に分類され、ヒトでは約2600種のmiRNA遺伝子がみつかっている。2002年頃から発現解析とともに機能解明が進み、多様な遺伝子の発現調節を担って、発生、分化、老化、疾患などに広く関与することがわかってきた。

「今でこそ、たった1枚のDNAチップで数千ものmiRNAを網羅的に検出できるようになったが、私がmiRNAを対象に研究し始めた2003年頃は、網羅的解析など夢のまた夢だった。miRNAの全長が短いために一般的なノーザンブロット法では検出が難しく、標識物質を導入するのも難しかった。仕方がないのでPCR法により増幅して標識し、検出していたが、PCRのバイアスがかかるために得られるデータは正確なものではなかった」。

当時をそう振り返る北條室長はまず、元同僚がいたある企業とともに、miRNAを網羅的に検出できるシステムの開発を手がけた。「生後まもないマウスから老化したマウスまで、さまざまな組織や細胞からRNAを抽出し、ラベル化、ハイブリダイゼーション、そして洗浄後に、微量でも高感度にmiRNAを検出できるシステムの開発に取り組んだ。たった1枚のアレイで全てのmiRNAを網羅的に解析するところまでは至らなかったが、高精 度で検出し解析する技術は確立できた。しかも、この時に得た膨大な量のmiRNAデータが、その後の研究に大いに役立つことになった」と話す。

神経難病のハンチントン病を対象に

2002年に現職に就き、ハンチントン病(HD)などの神経変性疾患を対象とした研究を開始した。HDモデル動物の解析には、自らが開発していたシステムではなく、「1枚で網羅的にmiRNAを検出できるアレイ(高性能DNAチップ基板3D-Gene®によるmiRNA Oligo chip)」を用いた。このシステムを使えば、miRNAを網羅的かつ高感度、高精度に解析できるからだ。

HDは、体が不随意に動くなどの運動症状と、認知障害やうつなどの精神症状がみられる進行性の難病だ。日本には約1000人の患者がいるとされ、原因は4番染色体上のハンチンチン遺伝子(HTT )にある「CAGの繰り返し配列」の異常伸長にあり、優性遺伝する。この変異遺伝子の産物である異常型HTTタンパク質(変異型HTT)は凝集体となって細胞内に蓄積し、脳(とくに尾状核の線条体領域)の神経細胞を脱落させ ることで発症に至るとされる。

北條室長は、変異型HTT の影響を受けるmiRNAの有無を調べるために、HDモデルマウス(R6/2マウス)と正常マウスの線条体組織由来のmiRNAを網羅的に調べた。「まず生後10週齢のマウスで両者のmiRNAを比較したところ、HDマウスでは多くのmiRNAの発現が減少していることがわかった。とりわけmiR-132とよばれるmiRNAが顕著に減少していることから、このmiRNAについて詳細に調べることにした」と話す。miR-132は「神経細胞の分化や成熟に関与する」との報告が多数あることも、北條室長の興味を引いた。

そこで、miR-132の量をより詳しく調べるために、生後2日から8週目までのHDマウスにおけるmiR-132発現量をリアルタイムPCR法を用いて解析。すると、生後2週目までは正常マウスと同じように発現が増えていったが、その後、HDマウスでは発現量が頭打ちになることがわかったという。「結果的に、両者の発現量の差が成長とともにどんどん大きくなる。私たちは、miR-132の不足がHDの発症や病態に関与しているかもしれないと考え、miR-132を補えば病態が改善するのではないかとの仮説を立て、補充実験を行うことにした」と北條室長。

そのために、まず、miR-132を脳内で安定的に発現させるためのウイルス(アデノ随伴ウイルス:AAV)ベクターに、miR-132遺伝子を組み込んだ。このmiR-132発現AAVを、miR-132の発現が頭打ちになる生後3週目のHDマウスの線条体に投与し、その4週間後にmiR-132の発現量と運動機能を調べた。さらに寿命についても検討した。「HDマウスの病態は非常に重く、体重減少を伴った症状が進み、わずか4か月で死に至る。ところがmiR-132発現AAVを導入したマウスでは、miR-132発現量が正常マウスと同レベルまで増え、運動機能も明らかに改善した。さらに、寿命が10日程伸びることもわかった」。

miRNA補充療法という新たな治療戦略

興味深いことに、miR-132発現AAVを導入したマウスでは、病態が改善したにもかかわらず、変異型HTTタンパク質の発現量がほとんど変わらないこともわかったという。「このことは、miR-132補充による病態の回復が、原因遺伝子や原因遺伝子産物である異常型タンパク質には直接関わらない別のメカニズムによることを示唆している」と北條室長。

miR-132発現低下はアルツハイマー病、統合失調症などでもみられるとの報告があり、北條室長はmiR-132補充療法が、このような脳神経系の難病に広く使えるかもしれないと考えている。「課題は、miR-132をヒトの脳にどうやって入れるかというデリバリーにある。miR-132そのものを静脈に注入しても脳血液関門を通過できないし、マウスのように脳に直接投与するのも難しい。脳内にうまく送り届けるリポソームなどのDDS(ドラッグ・デリバリー・システム)の開発が必要だろう。あるいは、miR-132の発現量を上げる低分子化合物をみつける、という戦略もあると思う」と話す。

ハンチントン病、アルツハイマー病は、いずれも根治療法がみつかっておらず、現状では進行を食い止めることができない。予後が非常に厳しい点も共通している。miR-132補充療法が実現すれば、患者にとっては「夢のような治療」となるだろう。

幅広い成果を出し続けるための秘訣とは

現在の北條室長は、複数の疾患について精力的に研究を進めている。たとえば、多発性硬化症(MS)については、血中に存在するエクソソームを解析している。エクソソームとは、細胞から血中などに放出される直径150nm以下の小胞の総称。その内腔に核酸、タンパク質、脂質等を含むが、近年miRNAを含有したものもあるとわかり注目を集めている。とくに、がんの転移や悪性度と関連するとの報告が相次いでおり、その種類や量 を調べることで、抗がん剤の効果予測や予後のバイオマーカーとして使えるのではないかと期待されている。

多発性硬化症は中枢神経系の自己免疫疾患として知られる。すでに研究チームは、MS患者のエクソソーム中の特定のmiRNA(Let-7i)が減ることで「炎症の惹起に関与するT細胞(炎症性T細胞)」と、「炎症性T細胞を抑制する制御性T細胞」のバランスが崩れるらしいということを突き止めている。

「ほかにも、筋肉や老化に関連する疾患について解析を進めており、近いうちに成果を報告したい」と北條室長。途切れることなく成果を出し続ける秘訣は何なのか聞いてみると、次のような答えが返ってきた。「まず言えるのは、比較や標準化のために、過去に蓄積した膨大かつ多様なmiRNAデータを使えること。何といってもこれが強みだ。加えて、解析のちょっとした手間や工夫を怠らないことも重要だと思う」。

手間や工夫の一つ目は、アレイを用いた網羅的な発現解析の際に、ターゲット試料とコントロールを最低2つずつ、可能であれば3つずつ用意して解析することだという。「1つずつだと、個体差が出てしまう。遺伝的背景や飼育環境を揃えられるマウスではそれほど大きな個体差はないが、ヒトではばらつきが大きい」と話す。二つ目は、リアルタイムPCRのデータとアレイ解析のデータをよく吟味すること。多くの研究者がアレイ解析ととも にリアルタイムPCRを行うが、再現性が得られず悩む例が少なくない。北條室長は、「アレイ解析とPCRとでは見ているものが必ずしも同じではないことを理解しておくべき。実は、同一種のmiRNAでも3’末端が綺麗に揃っておらず、さまざまな長さのものが混在している。アレイ解析ではそれらをまとめて検出している。それに対し、リアルタイムPCR用のRTプライマーは、通常その中の1種のみ。つまり、すべてのmiRNAを定量できているわけではない。このことを常に頭に置いておいた方がよい」と指摘する。

超高齢社会を迎え、脳神経系疾患の患者はますます増えていくだろう。安価で大量生産できるだけでなく、複数の疾患にも使えるmiRNA補充療法は、患者や家族のみならず、社会や国にとっても大きな福音となる。一刻も早い実現に向けて、miRNA研究のさらなる進展とDDS開発が期待される。

西村尚子/サイエンスライター